疲れが出て会社に行くどころか一日寝て過ごす。昨夜はそれほど遠出とも感じなかったけれど。
さいたま芸術劇場の近代能楽集。「卒塔婆小町」の壤さんは素晴らしかったが落下する椿の音がシアターコクーンの時より大きく響いて余り集中できなかった。能楽卒塔婆小町」は髑髏の目に薄が生えて泣く小町の死後の話かと思い込んでいたがとんだ間違い。僧侶と老いた小町との対話から始まり、百夜通いが後一日で果たせず思いを遂げられなかった深草の少将の霊が小町に憑依するものだそうな。近代能楽集の「99歳の老婆」というのが本家の九十九夜=成就しない結末を連想させる。美しさを誇ったために呪われ、永遠に待ち続けなければならない運命なのだろうか?そう思うと一見拾った煙草を数えているような最初と最後の台詞が痛々しく聞こえる。
「弱法師」の方は後半部分でこの世の終わりの景色(大空襲)の幻を見て絶叫する藤原くん、前回と比べて随分聞き易い声になっていて良かった。本家「弱法師」の俊徳丸は親に疑われて追放され、悲しみの余り盲目となる。天王寺の西門は極楽の東門に向かっていて、俊徳丸の心眼に映るのは幸福だった頃難波の浜から眺めた入り日の景色だった。何と大胆で皮肉な脚色なのだろう。